ここでは私の今までの育った環境を書きたいと思います。


私について 私の育った環境はとてもきびしぃ環境でした。 金銭的に厳しいのではなく親のしつけなどあと親戚の関係などいろいろなものが厳しかったです。 最近友達と話した内容なのですが私は家族に見せる顔とその他の友達に見せる顔は同じものでした。 その友人は周りの友達に見せる自分はピエロだが家族に見せる自分は本当の自分だというようなことを言っていました。 そのとき私は気づきました。私は周りの友達に見せる自分も家族に見せる自分も「ピエロ」だということに。 未だに私は家でも外でもピエロです。 でもそれに気づいてから私の鬱はいい方向に向かっていると思います。 その分家族ともぶつかることが増えましたが^^; でも家族に正直な自分を見せることがだんだんとできてきたと思ってます。
母について 私の母は私以上に理想主義です。 自分の理想、プライドが高くて。 人に甘えるのも下手な人です。正直今となって家を出て大人というとしになった今の私になると理解できることもたたあります。 しかしきっと何も知らない自分の社会がまだ家族であり父親、母親の言うことがを守らなければいけない「子供の法律」だったときには すごくきびしく息がつまってました。 何も知らない子供にとって両親の言うことというのは聞かなければならない、守らなければならないことでした。 今となれば母は私にきっと理想程度で、「できたらすごいよね」「当たり前だよね」ということを伝えてきただけかもしれません。 しかし私は母の言うすべてを完璧に仕上げないといけない。と思い込みました。 大人になった今私が思うのは自分ができなかったことを私に望んでいたのでした。 正直何かにつけて言い訳をしてきて逃げてきたのが母でした。 プライドが高く甘えるのが苦手な母は父との生活もうまく言ってないようでした。 私が幼いころ母親と話したことはきっといろんなこともあったでしょうけど父親の悪口と父親の両親の悪口そして自分の母親の悪口でした。 どうしても人の嫌なところが目に付いてしまう性格のようで父の帰りが夜中だったあのころはいつもいつも呪文のように 言われ続けてきました。 もちろん幼いころはそれを真に受けて帰ってきた父親と仲良くしてるとこを見るときっと母親はつらいだろうなどと思い父親とは自然と話をしなくなりました。 後に父親から聞いた話ではあのころは父親が帰ってきても私たち姉妹の父親を見る目が冷たくて態度もよそよそしかったのでどう接していいかわからなかったそうです。 しかも父親はそんな母の性格を理解していたようで自分のいない間に自分の悪口を言われてるのだろうというのは気づいていたようでした。 しかしいざ私が大人というとしになると物事を離れて客観的にある程度見るようになったとき母に対し今までの母の言い分に対し疑問を持つことが多くなりました。 聞いた悪口はたくさんあるけれどいざ自分の目で見たことはないので。 私がそうやって親から精神的に自立しかけたとき母はとうとう自分のしてきたことにより自分の首をしめることになったのです。 ある日突然いなくなりました。 携帯も持たず行ったのはあれだけ悪口を言ってもう二度と帰れないなどと言っていた自分の実家だったのです。 私は混乱しました。 私は母親が実家に帰れないならとできるだけいやすいようにと気を使ってきたのをあざ笑われたかのように感じました。 そしてあんなにも嫌ってた自分の家族である父親にかばってもらい家の中をひっくり返すようなことをしました。 このときに私は思いました。 私は母親に振り回されていたのだと。 自分の生き方を考えなくてはいけないと思いました。 今まで機嫌をとってあからさまにではなくなんとなくに見えるように母親の引いたレールの上を歩いてきました。 もちろん自分で考えたところもありますがそれも耐えてきました。 大学は家から出たいばっかりでそれと母親の言う大学とが重なるところを選んできました。 結婚相手は母親が気に入りそうな人を選んできました。 もし機嫌を損ねるようなことをするとすぐに倒れて私自身の母親とは違う道はすべてふさがれました。 私が鬱病という病気になった原因に行き当たった気がしました。 今、鬱病がある程度回復して私は母親と目を見てきちんと自分の考えが述べられるように、以前とは違ういい関係 ができるようにと踏ん張ってみているところです。


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